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HAT TRICK ハットトリック 遂にゲインズウェイファームを離れ、新天地・ブラジル共和国でシャトル種牡馬として繋養生活を送り始める。 [海外繋養種牡馬]

HAT TRICK 1.jpg


ハットトリックとは、イギリス語のサッカー用語で、1試合で1選手が3得点以上を挙げることの意味です。

サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔として生まれた、青鹿毛のサラブレッド それがハットトリックです。

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

HAT TRICK「パカッ。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルル。」

アメリカ合衆国・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイク ゲインズウェイファーム。

ハットトリックは、2011年の11月18日(日本時間・11月19日)にお隣のWalmac Farm LLC(ウォルマックファーム)から移動し、2012~2013年の種牡馬シーズンから、繋養生活を送て来た、北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)・追分向陽1233-1の追分ファーム産の日本産馬で、2007年6月に、種牡馬として日本からアメリカ合衆国に輸入され、2008年から2011年まで、sシャトル種牡馬として、Walmac Farm LLC(ウォルマックファーム)を拠点として、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズ・アルゼンチン共和国・エルマリン牧場でも半年間繋養生活を送るなど、4年間種牡馬として送って来ました。

種牡馬生活5年目の2012年から、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクのゲインズウェイファームで、繋養生活を送って来ました。

2017年5月中旬 ブラジル共和国・パラナ州の、Haras Spring Fild&Haras Santa Reta Da Serra 両牧場から、マイラーチャンピオンホース・ハットトリックを、ブラジル共和国でのシャトル種牡馬として繋養生活を送ってほしいという要請のオファーが、ゲインズウェイファームにあり、ゲインズウェイファームもそれに応じ、2012年~2013年の種牡馬シーズンから、繋養生活を送って来た、HAT TRICK(ハットトリック)を、Haras SplingFild&Haras Santa Reta Da Serra 両牧場に売却する事を決めたのです。

ハットトリックは2007年に輸入されて以来、長く繋養生活を送って来た、アメリカ合衆国・ケンタッキー州・パリスパイクを離れることになり、前日までに出国検疫検査を受けました。

いよいよ、ハットトリックは、2011年11月に来て以来、長く繋養生活を送って来た、Gainesway Farm(ゲインズウェイファーム)と別れる時が来ました。

前日まで出国検疫検査を受けた、ハットトリックも、名残惜しいゲインズウェイファームを去る様で、1989年からゲインズウェイファームの代表を務めている、アントニー・ペック氏以下、ゲインズウェイファームのスタッフに見送られて馬運車に載せられました。

ハットトリックは、2011年に来て以来、繋養生活を送って来た、ゲインズウェイファームを後に、2007年に同馬が最初に過ごした、Walmac Farm LLC(ウォルマックファーム)を見ながら、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクを後に、ブルーグラス空港に移動して、ストールに積み替えました。

ハットトリックは、ストールごと飛行機に積み込まれました。

マイラーチャンピオンホース・ハットトリックは、ブルーグラス空港発の飛行機で2007年6月に日本から輸入されて以来、長く繋養生活を送って来た、アメリカ合衆国・ケンタッキー州を後に、新天地・ブラジル共和国へむけて渡航されました。
HAT TRICK 6.jpg


2017年6月下旬・ハットトリックは、サッカー大国・ブラジル共和国の空港に到着し、ストールごと飛行機を降りて、馬運車に載せ替えました。

ハットトリックは、馬運車でHaras Spring Fild(スプリングフィールド牧場)のある、パラナ州へ長い道のりを移動しました。

そして、パラナ州のスプリングフィールド牧場(Haras Spring Fild)に到着、馬運車を降りて種牡馬厩舎に入りました。
HAT TRICK IN Haras SPRINGFIELD 1.jpg


Haras Spring Fild(スプリングフィールド牧場)の種牡馬厩舎には、HATTRICK(ハットトリック)の他、同じ牧場で種牡馬として生活を送っている、Amigoni(アミーゴ二)が繋養されております。

アメリカ合衆国・ケンタッキー州・パリスパイクのゲインズウェイファームから長い空路の旅をへてHaras Spring Fild(スプリングフィールド牧場)の種牡馬厩舎に入った、ハットトリックは、旅の疲れを癒していました。

2005年の最優秀短距離馬に競走馬として送っていた時に選定されていて、日本で競争生活を送ってきた、ハットトリックは、種牡馬とはいえ、ブラジル共和国・パラナ州でシャトル種牡馬として新繋養生活を送る様で6月から、ブラジル共和国・パラナ州の競走馬生産牧場の代表者達は、初めて見るハットトリックのお披露目レセプションに出ては確かめていました。
HAT TRICK IN Haras SPRING FIELD 2.jpg


Haras Spring Fildで行われた、HAT TRICK(ハットトリック)の導入レセプションは成功し、大人気を博しました。

2017年7月中旬・Haras Spring Fildの種牡馬厩舎。

この年からシャトル種牡馬として、繋養生活を開始した、HAT TRICK(ハットトリック)も、Haras Spring Fildの種牡馬厩舎内の新馬房で生活を送り始めていました。

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ハットトリックは、大きい雄叫びでいななきました。

HAT TRICK「ウ~~~~!」

HAT TRICK「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

ハットトリックは、大きい緑色の〓(うんち)を落としてやりました。

Haras Spring Fildの放牧場に、連れていかれた、ハットトリックは、手綱を離しては、走り出していました。

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「ヒュン。」

HAT TRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

HAT TRICK「パカッ。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ハットトリックは、パラナの空に、大きい雄叫びでいなないていました。

HAT TRICK「ブルルルルルル。」

HAT TRICK「ベロ~!」

HAT TRICK「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」

ハットトリックは、蹄をあげながら、パラナの大地を歩む馬です。

HAT TRICK「ブルルルルルル。」

HAT TRICK「プ~!」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュ~ン。」

ハットトリックは、大きなおならを嗅いでは、いなないていました。

HAT TRICK「ニョロニョロニョロニョロ。」

HAT TRICK「バシャ~~~~~~~!」

ハットトリックは、大きい尿(おしっこ)を出していました。

ハットトリックは、ブラジルの大地を脚で蹴っていく青鹿毛のサラブレッドです。

2017年6月下旬から、Haras Spring Fild(スプリングフィールド牧場)とHaras Santa Reta Da Serra(サンタ・リタ・ダ・セーラ牧場)の、両牧場でシャトル種牡馬として繋養生活を送る、マイラーチャンピオンホース・ハットトリック、新天地・ブラジル共和国パラナ州の繋養種牡馬として、さらなる活躍を期待したいと想い、願っております。

HAT TRICK「ブルルルルルル、フ~!」

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ユートピア トルコへ出発する。 [海外繋養種牡馬]

通算成績が、34戦9勝の成績を挙げ、2008年から、アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスの、Mcmahon Saraotoga Thoroughbreds(マクマホン・サラトガ・サラブレッズ)で、種牡馬としてスタッドインして以来、長く繫養生活を送り、先月上旬に、同場を馬運車で出発し、ケンタッキー州・レキシントンの、エルメンドルフファームに出国検疫検査のため来ていた、栗毛のサラブレッド・ユートピア(UTOPIA=理想郷・英)が、30日間に及ぶ、出国検疫検査を終えて、馬運車に乗せられて、エルメンドルフファームを後にブルーグラス空港に移動、ここで馬運車を降りてストールに乗り込みました。

ユートピア(UTOPIA=理想郷・英)は、ストールごと飛行機に積み込まれて、ブルーグラス空港発の飛行機で、2007年以来、長く生活を過ごした、アメリカを後にトルコにむけて離陸・渡航しました。

ユートピアは、ユーティーの愛称で知られるサラブレッドで、今年の8月末まで、Mcmahon Saraotoga Thoroughbredsで繫養生活を送っていました。

ユートピアは、今年の6月に、トルコのエージェントに売却されており、今後は、カラベイ・ナショナル・スタッドで、新繋養生活を送る予定になっており、マクマホン・サラトガ・サラブレッズで過ごした、ユートピアの、新天地・トルコでの生活を期待したいと想い、願っております。

ハットトリック IN GAINESWAY FARM 2014(2) [海外繋養種牡馬]

Link Page GAINESWAY FARM
http://www.gainesway.com/

2007年6月、ハットトリックは繋養地・アメリカに到着し、輸入されました。

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「ブルルルルルルルルルルル。」

アメリカ・ケンタッキー州にある、ブルーグラス空港から、馬運車で、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)にむかい、ここで馬運車を降りた、ハットトリックは、着地検査を受けた後、2008年から、4年間・WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を拠点に、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズ、アルゼンチン・エルマリン牧場にも、シャトル種牡馬として繋養生活を送りました。

2011年11月初旬・牡・10歳の青鹿毛馬になった、ハットトリックは、現在の繋養先である、同じ、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、お隣のGAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)に売却されていて、11月中旬には同ファームに移動して来ました。

2012年から、ハットトリックはGAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)での繋養生活を開始しました。

ゲインズウェイファームは、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、競走馬生産牧場で、アフリートアレックス・アフリートエクスプレス・バードストーン・タピットが繋養されている他、一昨年には、タピザーが新しく種牡馬に仲間入りしたほか、トゥオナーアンドサーブが今年から種牡馬として繋養されています。

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「ブルルルルルルルルルルル。」

ハットトリックは大きい雄たけびで、いななきました。

ハットトリックは、大きい、ケンタッキーの大地を、走っていました。

HAT TRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

HAT TRICK「パカッ。」

HAT TRICK「ウーーーーーー!」

HAT TRICK「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ハットトリックは、大きい雄たけびで、いなないていました。

種牡馬厩舎でハットトリックは、干し草をはんでいました。

HAT TRICK「MOGU、MOGU、MOGU、MOGU、MOGU。」

ハットトリックは、大きい草を食んでいました。

翌日・ハットトリックは、放牧場に連れて行きました。

放牧場で、ハットトリックは、大きく走っていました。

ハットトリックは、放牧場の柵に立ち、顔を上げていました。

HAT TRICK「ブルルルルル、ブルルルルルルルルルルル。」

ハットトリックは、サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔です。

ハットトリックは、ケンタッキーの大地を見ながら、競走馬時代の夢を見ていました。

HAT TRICK「ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ。」

HAT TRICK「バシャーーーーーーーー!」

ハットトリックは、気持ちいい尿を出していました。

ハットトリックが牝馬を相手に、種付けする時、牝馬の体に尿などをかけては、蹄を鳴らしては、種付けをこなしていました。

2014年4月26日(日本時間・4月27日)・ハットトリックの13歳の誕生日祝いがゲインズウェイファームにて行われ、スタッフが、13歳になった、ハットトリックの誕生日を祝いました。

今年の11月中旬で、ゲインズウェイファームに来て、3年を迎える、チャンピオンマイラーホース・ハットトリック、2007年に種牡馬として生活を送るために、日本から渡航してきた青鹿毛馬であり、2015年~2016年の種牡馬シーズンでも、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、GAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)でさらなる活躍を期待したいと思い、願っております。
(終)




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ハットトリック IN GAINESWAY FARM 2014 [海外繋養種牡馬]

Link Page GAINESWAY FARM
http://www.gainesway.com/

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルルル。」

HAT TRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」


HAT TRICK「パカッ。」

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」

2001年4月26日・サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔として、北海道・追分町(現・安平町)の、追分ファーム産の、日本産馬で、現在も、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、GAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)で種牡馬として繋養生活を送っている、青鹿毛馬・ハットトリック、世界で種牡馬として活躍する、サンデーサイレンスの後継産駒の1頭です。

HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルルルルル。」

ハットトリックとは、イギリス語のサッカー用語で、1選手が1試合で3得点以上を挙げる事の意味です。

毛艶のいい青鹿毛の馬体、いい色のたてがみ、顔のいい馬で、たくましい体を持つ、青鹿毛のサラブレッド、それが、ハットトリックです。

HAT TRICK「ブルルルルルルルルルルル、フーーーーー!」

サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、ハットトリックは、現役時代・キャロットファームの所有馬として、中央競馬で21戦8勝の成績を残した、青鹿毛馬です。

2004年5月8日・東京競馬場のサラ系3歳未勝利戦でデビューを果たした、ハットトリックは、他の馬を抑えて、初勝利を挙げ、以後・2007年5月8日に現役を引退するまで、マイルチャンピオンシップ・香港マイルなど制覇するなどとして、短距離馬として活躍を見せており、2005年には最優秀短距離馬にも選出され、マイラーチャピオンホースにもなりました。

ハットトリックが、デビューを果たした当時は、美浦・清水美波(しみず よしなみ)・厩舎所属の関東馬として活躍を始めましたが、放牧休養中の間に、栗東・角居勝彦(すみい かつひこ)・厩舎所属の関西馬になり、ナリタブライアンメモリアルなどでも優勝するなどとして、競走馬として活躍しました。

関東の東京競馬場にも遠征し、東京新聞杯にも出走して1着となったり、スポーツニッポン賞・金杯(西・京都金杯)などにも優勝するなど活躍した時期もありました。

2007年4月6日・読売マイラーズカップに出走した後、安田記念にむけて調整中、南アフリカとアメリカを半年ごとに行き来する、シャトル種牡馬として送れる様、種牡馬としてスタッドインしてほしいというオファーが、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクににある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)&HAT TRICK PATNERS(ハットトリック・パートナーズ)から出されたとの事で、それに対し、馬主のキャロットファームも応じ、関係者との協議の結果、現役引退を決め、5月8日に発表され、5月10日付けで競走馬登録を抹消し、現役生活に終止符を打ちました。

サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔・ハットトリックは、宮城県・亘理郡・山元町にある、山元トレーニングセンター(すでに閉鎖。)にて、出国検疫検査を受けた後、5月27日、飛行機で、種牡馬として生活を送る、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)にむけて、飛び立ちまして、二度と戻ることの無い、日本を後に渡航しました。
(その2へ。)

UTOPIA=ユートピア(ユーティー) 遂に2014年~2015年の種牡馬シーズンの途中で、トルコへ売却。 [海外繋養種牡馬]

2008年から、アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスにある、MCMAHON SARATOGA THOROUGHBREDS(マクマホン・サラトガ・サラブレッズ)で種牡馬として繋養生活を送っている、栗毛のサラブレッド・ユートピア(ユーティー)が、2014~2015年の種牡馬シーズンの途中でトルコのSerder Kemar Ozcolak氏に売却され、同年シーズンの後半から、Karabey National Stud Farmにて新繋養馬として生活することが、判明しました。

2000年3月1日・北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武275番地のノーザンファーム・生産の、日本産馬である、ユートピア(ユーティー)は、父・フォーティーナイナー・母・ドリームビジョンで、ドリームビジョンの2000が、血統名のサラブレッドで、理想郷という意味の英語に由来する、栗毛のサラブレッドです。

現役時代・日米で、34戦9勝(内・31戦8勝までは、中央競馬時代に挙げたもの。)の成績を残しております。

馬主は、金子真人氏→金子真人ホールディングス(株)→チーム・ゴドルフィンと3回、所有者が変わり、所属厩舎が、栗東・橋口弘次郎厩舎→イギリス・モールトンパドックス・サイード・ビン・スルール厩舎と、変わっております。

ユートピア(ユーティー)は、2008年から、アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスにある、MCMAHON SARATOGA THOROUGHBREDS(マクマホン・サラトガ・サラブレッズ)で、種牡馬として繋養生活を送り、現在に至っていて、一時期・テキサス州の、マクドネル・モット・ランチ・オブ・テキサスでも繋養生活を送った時もありました。

ユートピア(ユーティー)は、2014年3月1日に、牡・14歳の誕生日を迎えた、栗毛のサラブレッドで、サリーズドリーム・サロピアなどの代表産駒を送り出し、 ニューヨーク州を代表する繋養種牡馬として成長しましたが、トルコから、栗毛のサラブレッド・ユートピア(ユーティー)を新繋養馬として送ってやりたいという、オファーがMCMAHON SARATOGA THOROUGHBREDS(マクマホン・サラトガ・サラブレッズ)にあり、それに対し、MCMAHON SARATOGA THOROUGHBREDS(マクマホン・サラトガ・サラブレッズ)もそれに応じることになり、このほどユートピア(ユーティー)の売却が決まったのです。

UTOPIA「ヒュヒュヒュ~ン」

ユートピア(ユーティー)は、大きい雄叫びで、メドウビューファームでいななきました。

UTOPIA「ブルルルルルルル。」

いい鼻息を鳴らした、ユートピア(ユーティー)は大きい蹄を鳴らしました。

UTOPIA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ」

ユートピア(ユーティー)は、サラトガスプリングスパリスの大地を、大きい脚で蹴って、走っていました。

その、ユートピア(ユーティー)の、マクマホン・サラトガ・サラブレッズでの放牧も、8月末でみられなくなるとの事です。

北海道・勇払郡・早来町生まれで、2008年から長くアメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスで繋養生活を送って来た、栗毛のサラブレッド・ユートピア(ユーティー)も、9月上旬には、マクマホン・サラトガ・サラブレッズを馬運車にて出発し、ケンタッキー州・レキシントンのエルメンドルフファームに移動しここで30日間の出国検疫検査を受けた後、9月中旬には、飛行機で、2007年に競走馬として来て以来、長く生活したアメリカを去るとの事です。

アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスの、マクマホン・サラトガ・サラブレッズで長く繋養生活を送って来た、ユートピア(ユーティー)が、新天地・トルコでの繋養生活を送ってほしいと、願っております。
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POP ROCK ポップロック チェコで種牡馬になったサラブレッド(3) [海外繋養種牡馬]

Link Page POP ROCK(JPN)
http://www.napajedlastud.com/cs/mdl/info/pop-rock-jpn

エリシオを父に、ポップスを母に持つ、鹿毛のサラブレッド・ポップロック(POP ROCK=ポップス風のロックという意味)は、2011年から、HERBCIN NAPAJEDLA(チェコ)で種牡馬入りし、現在もここで暮らしています。

ポップロックの母・ポップスは、サンデーサイレンスを父に、ポップシンガーを母に持つ牝馬の馬です。

ポップスは、栗東・鶴留明雄厩舎に、現役当時所属し、25戦3勝の成績を残した馬でした。

その後、繁殖牝馬になった、ポップスは、エリシオを配合種牡馬に選び、ポップロックを出産したのです。

ポップロックも、厩舎が違うのですが、同じ栗東の角居勝彦厩舎に、2010年2月18日付の登録抹消まで在厩し、目黒記念を2回優勝するなど活躍してきた、鹿毛のサラブレッドです。

ポップス風のロックという意味である、ポップロックは、その後・アイルランド・児玉敬厩舎に移籍するため、山元トレーニングセンターに移動し、ここで出国検疫検査を受けた後、飛行機で日本を後に渡航し、オランダ・アムステルダムから、フランス・イギリス経由で、アイルランド入りし、児玉敬厩舎に到着、ここで調整されて、アイルランド・ゴールウェイ競馬場での、ギニーズレースでデビューし1着となりました。

その後、バリーカレンステークスを回避、アイリッシュ・セントレジャーで、しんがりの8着に終わった直後、屈腱炎がもとで、ポップロックは競争生活に終止符を打ち引退、2010年の秋には、現在の繋養地・チェコのHERBCIN NAPAJEDLAに種牡馬としてやって来たのです。

種付けシーズンとなると、HERBCIN NAPAJEDLAでも、種付けが行われ、ポップロックも、牝馬と種付けし、成功しました。

種牡馬厩舎に戻った、ポップロックは、鹿毛の馬体のたてがみを振りながら、過ごしておりました。

餌が運ばれてくると、ポップロックはいななきました。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ポップロックは、おおきくはんでやりました。

POP ROCK「モグモグモグ。」

ポップロックとは、ポップス風のロックという意味です。

その名前から、母・ポップスの仔である馬であるのです。

POP ROCK「ウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

POP ROCK「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

ポップロック大きいうんこをおとして、体を整えていました。


2012年3月19日・ポップロックは、牡・11歳の、鹿毛のサラブレッドになりました。

10歳の秋に、チェコのHERBCIN NAPAJEDLAに種牡馬として繋養生活を送る為に、やってきてから、初めての誕生日を迎えた、ポップロック(POP ROCK=ポップス風のロック)は、美しくきれいな鹿毛の馬に育った仔馬として、誕生日を祝いました。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ポップロックは、生まれ故郷・北海道を想い出しながら、いなないていました。

エリシオを父に、ポップスを母に持つ、鹿毛のサラブレッド・ポップロック、牡・12歳の男馬に成長した、現在も、チェコのHERBCIN NAPAJEDLAで、種牡馬生活を送っており、今後も、大きな産駒の馬が登場するのか、チェコで繋養生活を送っている馬では、唯一の日本産馬として、更なる活躍を期待したい、鹿毛のサラブレッド、ポップス風のロックという意味である馬、それがポップロックです。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルルルル。」
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POP ROCK ポップロック チェコで種牡馬入りしたサラブレッド(2) [海外繋養種牡馬]

Link  POP ROCK(JPN)
http://www.napajedlastud.com/cs/mdl/info/pop-rock-jpn

チェコ・HERBCIN NAPAJEDLAで、種牡馬として送っている、POP ROCK(ポップロック)、ポップス風のロックという意味の名前が、鹿毛のかわいいサラブレッドの名前になっている馬です。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

HERBCIN NAPAJEDLAの種牡馬厩舎にいる、ポップロックは、顔を振りむきながら、過ごしております。


POP ROCK「フーーーーーーーーーーーーー!」

POP ROCK「ブルルルルルルルルルル。」


POP ROCK「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」

放牧場に来た、ポップロックは、大きく走り出して行きました。

POP ROCK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

POP ROCK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

POP ROCK「パカッ。」

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュ~ン。


POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

POP ROCK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

POP ROCK「パカッ。」

POP ROCK「ブルルルルルルルルルルルルル。」


ポップロックは、大きい鼻息を鳴らしました。


POP ROCK「ニョロ、ニョロ、ニョロニョロニョロ。」

ポップロックが、大きい放尿を出し始めました。


POP ROCK「バシャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

ポップロックは、大きくていいおしっこをだしてやりました。

ポップロックは、ポップス風のロックという意味の、鹿毛のサラブレッドです。

エリシオを父に、ポップスを母に持つ、ポップス風のロックという意味の、サラブレッド、それがポップロックです。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」
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POP ROCK ポップロック チェコで種牡馬生活入りしたサラブレッド。 [海外繋養種牡馬]

Link Page POP ROCK(JPN) HREBCIN NAPAJEDLA
http://www.napajedlastud.com/cs/mdl/info/pop-rock-jpn

2011年から、種牡馬として、チェコの、HREBCIN NAPAJEDLAで、一頭の鹿毛のサラブレッドが、繋養生活を送っています。

エリシオを父に、ポップスを母に持つ、鹿毛のサラブレッド、それが、ポップロック(POP ROCK)です。

POP ROCK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

POP ROCK「パカッ。」

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルルルル。」

ポップロックとは、ポップス風のロックという意味です。

母・ポップスからの連想で、たくましく強い子に育ってほしいという願いが込められている、鹿毛のサラブレッド、それがポップロックです。

ポップロックは、北海道・早来町(現・安平町)のノーザンファームの生産になる、ポップスの2001が血統名であり、2001年3月19日生まれの、鹿毛のサラブレッドで、現役時代・吉田勝己氏の所有馬として、栗東・角居勝彦厩舎の所属で、目黒記念などにも優勝する活躍を見せ、2010年にはアイルランドの児玉敬厩舎に移籍、同年のアイリッシュ・セントレジャーで8着入賞後、屈腱炎がもとで現役を引退するまで活躍、ギニーズレースでは、2着馬に大差をつけて1着になり、移籍後、アイルランドでの初勝利を飾った他、バリーカレンステークスでは、回避していました。

チェコのHREBCIN NAPAJEDLAには、2010年の秋に、種牡馬としてやって来ました。

翌・2011年から、繋養生活を開始しました。


POP ROCK「ブルルルルル。」

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ポップロックは、アイルランドでの現役時代に、児玉敬厩舎(カラ競馬場)に所属していて、ポップロック・シンジケートの所有馬として、ギニーズレースに出走して1着となり、アイルランドでの初の勝利を果たしたこともあります、それどころか、角居勝彦厩舎所属時代には、オーストラリア・フレミントン競馬場で行われた、メルボルンカップでも、デルタブルースの2着に入ったことがありました。

アイルランド・ゴールウェイ競馬場で行われた、ギニーズレース・1着後、ヨーロッパ各国の競走馬生産牧場から、種牡馬としてのオファーが来るようになり、遂に、チェコのHERBCIN NAPAJEDLAが、POP ROCKを、2011年の新種牡馬として繋養生活を送ってほしいというオファーがあり、アイリッシュ・セントレジャー後に、現役を引退後、チェコへ種牡馬としてPOP ROCK(ポップロック)を入れることになったのです。

POP ROCK(ポップロック=ポップス風のロック)は、2011年から、HERBCIN NAPAJEDLAでチェコでの繋養種牡馬では、唯一の日本産馬として繋養生活を開始し、今日まで繋養されております。

POP ROCK「カポ、カポ、カポ、カポ。」

ポップロックは、HERBCIN NAPAJEDLAの放牧場で、手綱を離しては、走っており、大きい蹄を鳴らしては、パカッ、パカッ、パカッと、走っていました。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ポップロックは、大きい雄叫びで、いななきました。

POP ROCK「ウーーーーー!」

POP ROCK「ボトボトボトボトボトボト。」


尻尾を上げて、緑色のうんこをおとし、体を整えてやった、ポップロックは、鹿毛の馬体を揺らしながら、放牧していました。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

洗い場にポップロックが来ると、水を浴びては体を洗っていました。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」


ポップロックは、大きいいななきで、ご機嫌そうに、過ごしていました。


HERBCIN NAPAJEDLAには、POP ROCK(JPN)の他、BLUECORAL(IRE)・CAMILLE(IRE)・CORALD KID(USA)・EGERTON(GER)・LLANDAF(USA)・RYAN(IRE)などが繋養されており、1886年の創立以来の、歴史を今に伝えております。

2011年に、種牡馬としてHREBCIN NAPAJEDLAにやって来た、POP ROCK(ポップロック)は、HREBCIN NAPAJEDLAの種牡馬厩舎で、過ごしております。

POP ROCK「ブルルルルルルルルル、ブルルルルルルルルル。」

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ポップロックは大きいいななきで、鳴いていました。

ポップロックの父・エリシオも、現役時代・フランスで、競走馬生活を送り、日本にもJC出走の為来日したことがある、競走馬でもあります。

種牡馬になったエリシオは、多くの産駒を輩出しました。


POP ROCK「ブルルルルル、ブルルルル。」

ポップロックの毛色は鹿毛、かわいくて、たくましい体のサラブレッド、それがポップロックです。

POP ROCK「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」
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HAT TRICK=ハットトリック GAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)で、新生活を開始。 [海外繋養種牡馬]

2007年6月に、日本から輸入され、翌2008年から3年間に渡り、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)で種牡馬として生活と同時に、シャトル種牡馬として、半年間・オーストラリア・アルゼンチンで繋養生活を送るなど活躍してきた、サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔・HAT TRICK=ハットトリック(イギリス語で、1選手が1試合で3得点以上をあげること(サッカー用語)・2001年4月26日生まれ・日本(追分ファーム・北海道・勇払郡・追分町(現・安平町) )産・牡・11歳・血統名・トリッキーコードの2001)が、11歳の本年から、同じ、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、お隣のGAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)で新生活を始めました。

牡・10歳の、昨年・11月上旬・ゲインズウェイファームに売却された、ハットトリックは、現役時代・日本で、21戦8勝を挙げ、2005年の最優秀短距離馬にも選定されて受賞するなど活躍、2007年には種牡馬として、アメリカに輸入され、翌2008年から、ウォルマックファームで4年間、繋養生活を送り、2008年の夏から、2009年の冬までは、オーストラリアで、2009年~2010年の半年間は、アルゼンチンで繋養されるなど活躍してきました。

昨年の11月中旬に、4年間・繋養された、ウオルマックファームを離れ、ゲインズウェイファームにやってきた、ハットトリックは、オープンハウスで、ブリーダーの関心を持っていました。

明けて、牡・11歳になった、ハットトリックは、本年から、GAINES WAY(ゲインズウェイファーム)での、新生活を始めました。

HAT TRICK=ハットトリック 「ブルルルルルルルルル、ブルルルルルルルルル。」

GAINES WAY FARM (ゲインズウェイファーム)の、種牡馬厩舎に、昨年11月中旬・WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)から移動し、入厩した、ハットトリックは、隣とはいえ、いい鼻息を鳴らしてました。

翌朝・GAINES WAY FARM (ゲインズウェイファーム)の、放牧場に連れていった、ハットトリックは、手綱を外したのと同時に、走りだしました。

HAT TRICK=ハットトリック 「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」

HAT TRICK=ハットトリック「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ」

ハットトリックは、大きく雄叫びを鳴らして、脚で、ケンタッキーの大地を蹴って、走りだしてやりました。

HAT TRICK=ハットトリック 「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ」

HAT TRICK=ハットトリック「パカッ。」

ハットトリックが、柵に止まった時、大きい声でいなないては、鼻息を鳴らしており、ヒュヒュヒュヒュ~ンとか、ブルルルルルルルルル鳴いていました。

水を飲んだ時には、おしっこを、バシャーーーと、放尿したり、餌や牧草を、はんでは、尻尾をあげて、ボトボトと、うんこをだしては、体作りをあげたりしました。

ハットトリックは、ゲインズウェイファームでの新生活にも慣れて、送り出していました。

本年のシーズンから、GAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)での新生活を開始した、ハットトリック、今後とも、ハットトリックの、種牡馬としての活躍を期待したいと想い、願っております。
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